白馬岳ツアー |
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白馬岳ツアー車窓から入って来る早朝の風に目を覚ますと、道路に掲げられた看板には「白馬」とあった。わけもなく嬉しくなる。町は深い霧に包まれたままだ。 突然、カーテンを開いたように、目の前の霧が晴れ、白馬の山々がどおーんと現れた。 「来たぞぉ!!」 我知らず、顔はにんまりとくずれ、車は吸い寄せられるように山へと向かっていった。 大雪渓にて 晴天の三連休だけあって、大雪渓は大混雑であった。 ある者は久しぶりのアイゼンをカシャカシャ言わせ、ある者は生ビールで個人的な幸せを掴みながら、蟻んこの一匹となる。 これだけの蟻がむらがる山頂には一体何があるのだろう? 期待が高まる。 山頂は霧で真っ白だった。山小屋のベンチでみんなを待つ間、なんだか背中が暖かくなってふと振り返った。 雲間から顔を出した太陽が厚い霧を吹き飛ばしている。 すると何やら巨大な建物がうっすらと姿を現わしはじめた。 「おおっ!!」 そこに私が観たものは、かのタージマハルにも優とも劣らない大山小屋であった。噂では3000人の山岳民族を収容できるという。 どのようにして山頂にあのような建物をたてたのだろうか? 日本民族もピラミッドを建てたエジプト人にまけず劣らず勤勉であるということがわかった。 決して満員にならないと噂されていた宮殿だったが、その日は、山びと三人につき畳一枚分しか割り当てられなかったそうである。 そんな奴隷船状態の山小屋を尻目に、私たちは花の咲き乱れる窪地にテントを張って、山の夕暮れを楽しんだ。 翌日、朝日を見る為に山頂へと向かった。が、どうしたことか、私の頭はくらくらするし、胃はキリキリ痛む。 ちょっとの登りで死にそうになってしまった。きっとこれは、隣の人のいびきや足の匂いに苦しめられた山小屋民族三千人の怨念が谷にたまってしまったのにちがいない。 何しろ私たちには、たくさんの酒、星空、快適なテントと怨まれる条件がたくさんあったのだから。 「くーっ」 白馬岳山頂にて朝を迎える モノトーンの写真の様なとても不思議な光景が広がっていた。 朝日が昇ると共に、私についていた怨念も溶けた様で、力がよみがえって来た。 山で迎える朝はいつも気持ち良い。 朝日を見ると嬉しくなるのは私だけではないらしく、山小屋に物資を運んできたヘリコプターのおっちゃんは、私たちに優雅に手を振った直後、地面すれすれまで急降下するという芸当を見せてくれた。 きっとおっちゃんの頭の中には「ロッキーのテーマ」が流れていたに違いない。 花畑の広がる縦走路を歩く。ウルップソウ、ミヤマミミナグサ、ハクサンイチゲ、ガンコウラン、清楚な山の花々の名を、何度も何度も確認しながらのんびり進む。 私はこの二日目の行程が一番好きだ。辛い登りも終わった。帰るにはまだ時間がたっぷりある。景色、天気は最高で、一緒に笑って盛り上がる仲間たちがいる。こうなれば、ヤクザと言われようが、 「働かざる者食うべからず」と、 腕組みされてさとされようが、このまま山の中で花や星を愛でながら、暮らしていってもいいんじゃないかなぁ、という気持ちになってしまう。 が、私は山をなめていた。下山途中、山の恐ろしさを垣間見る事になったのである。 白馬からの下山ルートには、何ヶ所か、雪渓を渡らねばならない所がある。雪渓を渡る前に、佐藤さんから注意があった。 「こういう所は落石があって大変危険です」 ふむふむ、早く通ってしまおう。確かに、人の背丈の二倍ほどの岩が、いましがた転がってましたと言わんばかりのあやういバランスで、 斜面にとどまっている。が、先頭の佐藤さんは雪渓の真ん中で、ビデオを撮り始めるのだ。 「こういう所は危険ですからね」 分かったから、早く進んでくれー。 さらに進んで、もう一つの雪渓を渡りきった時だった。がらがらという重い音に山を見上げると、上の方 から、降ってわいたような大きな岩がゆっくりところがってきていた。そしてその岩は加速をつけながら、私たちの後に来ていたパーティの真ん中へ向かっていく。全員が息を飲んだ。 岩は途中、コースを変えて、ねらったようにひとりのおじさんめがけて転がっていった。 おじさんはじっと動かなかった。 「あぶない!」 そう思った時、突然おじさんが雪渓を駆け出した。その直後を大岩がガラガラと、転がっていった。 その後、休憩の時、危機一発おじさんとすれ違った。 「危なかったですね」 「あの時、前にいたグループのリーダーが、落石はコースを変えるから、 直前まで動かない方がいいって言ってたのを思い出したんですよ」 この日、大雪渓でも落石が起き、女性一人が亡くなったと後で知った。あの渋滞では、岩を避けるのも難しかっただろう。タイミングが違っただけで、自分が事故にあっていたかもしれない。 自然って、きれいだけじゃないんだな。やっぱり町を捨てて山びとになるのはもう少し修行を積んでからにしよう。 そろそろお刺し身とか炊きたてのご飯とか食べたくなってきたし。 と、とたんに軟弱になる私であった。 が、家に帰って、二度ほど炊きたてのご飯を食べると、 「やっぱり山の生活が最高だよ」 などと言っているのである。つくづく自分はわがままだなぁと思う。 【栗原智子】
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