上高地にハイキング?

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上高地にハイキング?

 私の実家の両親は、とても心配性である。大学生の時、一度だけ救急車で運ばれたことがあったんだけど、それを機に、その度合いはますます強くなった。電話が通じない日が何日も続いたりすると、けっこうたいへんだった
りする。
「家の中で、倒れてるんじゃないかと思った」
「もうちょっとで、捜索願い出すところだったよ」
 まんざら冗談でもないみたいなところがコワい。そんなわけで、両親は、娘が危ないところに行くのなんて、ぜったい反対だ。だけど、そう言われても、今年も夏はやってくるわけで・・・・。娘は、やっぱり、夏は、今年もみんなと北アルプスに行きたい。というわけで、

「上高地にハイキングに行く」

うーん、山ばかりです(笑)!

一生懸命、知恵をしぼった結果、「超」のつく心配性の母親にそう電話したのは、出発日の集合時間1時間前だった。

「上高地に行ってくるから」
「上高地ってどこ? 何県?」
「長野県」
「長野県って行ったら、山とかあるとこ?」

地理にはめっぽう疎い母親の、めったにない的を得たその言葉にたじろぎつつ、
「うん、ハイキングに」
「ハイキングって、まさか、山に登るわけじゃないよね。遭難とかするようなとこじゃないよね」
ますます、的を得ていくその言葉に、しどろもどろしつつ、
「うん、たぶん・・・・。まあ、遭難したら、拾いに来てくれるとうれしいんだけど」
「・・・・」
電話のむこうで固まる母親の顔が目に浮かぶ。
「で、いつまで」
「17日まで」
「4日もハイキングするの?」
「え? まあ・・・・」

 ぼろが出るので、質問はそのくらいにしてほしいぞ。こうして、無事(?)東京を脱出、朝早く、晴天の上高地に着いた。上高地で、各方面からのの参加者と合流。『風のたより』隊は、今年は総勢26人という大所帯だった。

 すごい! 
去年の1日目は、高梨さんの魔力で(という噂がある)、台風直撃のどしゃぶりの中の出発だったけど、今年は最終日までずっとお天気に恵まれ、ハイキング日より(?)だったのが何よりうれしかった。
去年は、私にとっては初めての北アルプスで(というより、山自体、ほとんど初めてだった)、知床探検の勢いで参加したのだけれど、どこをどう歩いているのかもぜんぜんわからず、
「すごいですねぇ」
「きれいですねぇ」
「こんなところがあったんですねぇ」
って、そびえ立つ山の景色に感動していたら、知らないうちに、奥穂高〜西穂高の、後で聞いてみたら”上級者むき”とかいう縦走ルートの崖の上に立って、前にもいけず、後ろにもひけず・・・・目が点になっていたのだった。

 こんなことではいけないと、今年は一応「予習」をすることにし、図書館で北アルプスの本を2冊ばかり借りてきて、予定の「表銀座」のルートを調べて参加した。
本の中の、槍ヶ岳をはしごで登っている写真が、私の高所恐怖症の虫をちょっと呼びおこしはしたけれど、
「北アルプスで最も景色がきれいなところであり、特に危険を伴うルートではない」
その説明に、安心して参加した。

 だけど予定というのは往々にして変わるものであり、今年の『風のたより』隊のルートは、「北穂から大キレットを通って、南岳にぬけて、槍ヶ岳に登る」ルートに変更になっていた。そんなルートは、私の予習の範囲外だったから、ぜんぜんわからず参加した。るんるんだった。土井さんのその言葉を聞くまでは。

「ちなみに、キレットっていうのは、『切戸』で、切り立った扉みたいっていうのが語源ね」
切り立った?

 その言葉を聞いた瞬間、なにか、またもや知らないうちに、思わぬ方向に物事が進んでいることに、私はやっと気づいた。
涸沢までの道のりは、去年と同じだったから、なつかしく思い出しながら歩いた。
ああ、ここだ、ここだ。ここで、休憩したよね。やっぱり、きれいだねぇ。涸沢で1日目のキャンプ。平穏に時間はすぎた。

2日目。
涸沢から北穂高の急登はきつかった。登っても登っても、まだまだ頂上はずっと先という感じだった。でも、だんだん山々が眼下になり、雲が低くなり、景色がよくなっていくのは爽快だった。
やっと着いた北穂高でばんざいし、記念撮影。遠くに見える槍ヶ岳が、ほんとに美しい。


大キレットを目の前にして!!
そして
「じゃあ、これから行くルートをちょっと確認してみよう!」
 佐藤さんの元気なかけ声で、はじめて大キレットを見た。見た瞬間に、元気が飛んだ・・・・。 

え?
何、あれ?
え? どこ? 道は?

ぎざぎざのとんがった山が眼下にずっと続いており、私には、それは、とても人間が歩けるようなところには見えなかった。

「ちなみに、キレットっていうのは、『切戸』で、切り立った扉みたいっていうのが語源ね」

土井さんの言葉どおりだった。
「切り立った扉」ねぇ、よく言ったものだ。
さあ、どうしてくれようか・・・・。
途方に暮れるしかなかった。

「大丈夫、大丈夫。見かけは、ほら、派手だけど、そんなでもないから」

 佐藤さんは言ったけど、わりと派手なところもあったような気が。

「そんなに恐けりゃ、来なきゃいいのにねぇ」

 何度もそんなことを思った。
 だけど、来てしまう。

 あんなに恐かったのをどうして忘れてしまえるのかわからないけど、簡単に忘れる。それも一瞬にして・・・・。
山とか、朝日とか、夕日とか、星とか、雲とか、きれいだった景色と、楽しかったことばかり思い出されて、また来年も行こうと思う。不思議なところだ。

 3日目、前方に槍ヶ岳を見ながら歩く気持ちよさ。槍ヶ岳では、急なはしごを登りながら、私の顔はやはり凍っていたのだけれど・・・・。

 3日目の晩。2日前に通り過ぎた横尾のテン場で、テントを張った。3日間をともにした仲間と迎える最後の夜は、実に感動的だった。という設定になるはずだった・・・・が、

西山「うっそ〜、オレ、そんなの食べてないよぉ〜」

26人の輪のこっち側では、なぜか食べ物の争いが起こっていた。

飯田「あ、やべぇ、言わなきゃよかった?」
田坂「え?何々?」
飯田「いや、大木君がさ、外国行ったおみやげでさ、ドライフルーツくれたんだよ」
田坂「うそ〜」
飯田「それ、テント班(1班)で食っちゃったの、すっげ〜、うまかったよ〜」
西山「オレも、欲しかった〜!!」
栗原「まあまあ、最後の夜に、そんな食べ物のことで...」
西山「2班なんか水もあんまり持ってなくて、水飲むのも節約したのに〜」
栗原「まあまあ」
飯田「あ、でも、2班は、カルピスのゼリー食ったんだろ?」
田坂「だって、あれは、山崎さんの差し入れだもん。おいしかったよ」
田坂「そういえば、小屋のところで、フルーチェももらって食べた」
栗原「え? そうなの、いいなぁ」

 だんだん「何を食べたか、暴露」大会となる。と思いきや、輪のむこう側では、いきなり「アンコール」の声があがり、それに答えて、岩下さんの振り付き「お嫁サンバ」の熱唱。
『風のたより』、感動的な(?)最後の夜は、けっして静かに終わったりはしなかった。

 4日目。別世界にいた数日は、はやくも終わり、下界の人となった。温泉で、数日ぶりにゆったり湯につかり、極楽、極楽。4日を一緒に過ごした仲間たちと元気に別れ、きれいな山の景色を胸に、家路に着いたのだった。


イワヒバリ?
夜、捜索願いを出されないうちに、実家に電話を入れた。

「帰った? どうだった?」
「うん、よかったよ」
(詳しくは説明できないけど)
「暑かったでしょぉ?」
「うん、そうでもない」
(標高が高かったから)
「で、どうだった?」
「きれいだったよ」
(何が、って聞かれると説明が難しいんだけど)

 言外の言葉のほうが多かったりする。そして、親の心配をよそに、娘は、もうすでに「やっぱり来年も北アルプスに行きたいなぁ」と思っている。
【田坂民】
『風のたより』 SINCE 1992.3.1 
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