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危機的状況の中で大切なもの

 遭難の多くは、対処が正しければ、どうにかなったものが多いといいます。もう少しどうにかすれば助かったのではないかと考られる残念なケースが多いと言われています。

 これは、遭難にあたって心理的なパニックが、知らず知らずのうちに自分を追いつめているためかも知れません。そこで各種の訓練や実験を行うことによってイザという時の対処を事前に体験しておきました。

 その訓練や実験で解ったことは、個人の技量より、個人の精神状態の方が遭難を引き起こす可能性が高いということです。例えば、わざと雨天の山行訓練を行った時に、本人の承諾のもとに出発したのにもかかわらず、途中で我が儘や粗暴な言動を繰り返し、パーティーを混乱させた事件がありました。その人は素人ではなく、どちらかと言えば山のベテランであり若く体力もあったわけですが、イザと言うときの精神力に欠けていたわけです。

 それとは逆に全くの山の素人が、逆境に強かったという逆説が証明されました。その理由を知りたかった私は、素人さんに訪ねてみますと

「やっぱ、冒険している感じが楽しかった」
「最高に面白かった」
「訓練というから、もっと悪条件かと思った」

と言う証言をしていました。

 逆境に強かった素人さんに共通して言えた事は、次の3点です。

  @ものごとをポジティブにとらえる傾向がある
   ある程度の危険を冒険として喜ぶ傾向がある
  Aリーダーを信じて疑わない。
   そのためか非常に協調性があり、
   リーダーから積極的に仕事をもらおうとする。
  B自分の力量に不安がある。
   だからこの機会に自分を鍛えたいと思ってる。

 逆に逆境に弱かった人の共通点は、

  @登山知識・登山経験がある。
  Aある程度の自分の登山スタイルが確立していて、
   他人の登山スタイルに合わせられない。
   したがって協調性に欠ける部分がある。
  B自分の判断が正しいと疑わない。
   そして自分の判断と違った行動に対して、
   ことごとく抵抗する傾向がある。

 この結果をふまえて、私たちは遭難などの危機的状況において一番重要なポイントになるのは、登山技術ではなく、精神状態ではないかと考えるようになりました。どんな素晴らしい登山技術も、それを生かし切れなかったら何もなりません。チームワークが大切な時に、1人でも足を引っ張る人がでますと、全員にはかりしれない影響を与えます。

 せっかく危機を楽しく乗り越えられるチャンスを、暗いネガティブな考えにひきずられてしまい、辛く苦しい山行にしてしまいます。こういう事態が、なんでもない危機を本当の遭難に発展させてしまうことが大いにありえます。

 私の経験からしても、ネガティブな発想は、健康を悪化させることがあります。危機がおとずれ、それを楽しむゆとりが無くなったとき、精神的なものが原因で急に発熱することがあります。下痢や咳や頭痛もおきます。

 またチームワークの乱れから罵詈雑言、陰口などがおきると集団ヒステリー症状がおきることがあります。そうなると、そのパーティーは判断力を失います。右に行くのか、左に行くのかに右往左往し、右で決定したあとにすぐに「左の方が正解かな?」と引き返し、その後にまた引き返すといった分裂気味な行動をとるようになり、本当の遭難に近づいていきます。

 だから、遭難などの危機に対して一番大切なことは、登山経験や技術よりもポジティブな発想と、チームワーク、そして冷静な判断ができるための心理状態の維持ではないかと思いました。そこで遭難に対する心理学について『登山の医学』を参考文献に解説してみたいと思います。また、リーダーの心構え、リーダーと参加者の関係についても考えてみたいと思います。

遭難の心理学

 遭難者の精神的なケアは医学的なケアと同様に重要なものです。遭難者の心理的反応は悲哀の心理に類似しているので、悲哀の心理について解説してみます。

 悲哀とは愛するものの喪失(喪失体験)の際におきる自然な感情的反応であり、一定期間内に推移し終息します。

 最初に拒絶期。内面的には精神的ショック、混乱、否認、怒り、外面的には悲痛な表情、脱力、吐き気、食欲低下、睡眠障害などが現れます。

 次に絶望期。内面的には苦悶、悲哀、抑鬱、外面的には拒絶期と同様の症状及び思考、行動の鈍さなどが現れます。

 最後に絶望期に移行します。内面的には諦め、無関心、外面的には自発性の欠如、穏やかさ、社交性の低下などが現れます。

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